どうも、真木(さなぎ)です。
自己満足が起点の本活動ですが、
どうにも完璧主義が駄々をこねて、アウトプットが出てこない今日この頃です。
(面倒くさい奴ですね。自分でも書いてて思います。)
なので(?)、今回は少しお節介です。
でもって、そのお節介をどう焼こうか、ずっとどこかで考えていました。
なんとか上手く説明出来ないものかと。
また同時に思いました。
偉そうに講釈を垂れるような気持ち悪い事もしたくないなと。
そんな私の、ある意味では傲慢が過ぎる我儘によって書かれたのがこの記事という訳です。
(結果的に気持ち悪いですね。そこはある意味、諦めました笑)
よく読めば、この記事はある特定の個人の為に書いたものだと、分かるかもな内容です。
そして、私に文才は無いので、当人が読んでも分からない可能性も十分にありうる訳です。
ただ、私は全然それで良いと思っています。だって、この活動の起点は自己満足なのですから。
大前提として、その方が抱える悩みをなんとかしたいという思いは本物です。
そして、この字面だけで見た時の「思いは本物です」なんて言う言葉自体の胡散臭さが、
最終的にその方が抱える問題と共に消えたのであれば、それ以上に嬉しい事は無いですね。
では、本題をば。
私のある友人について
私が今抱く、その方についての印象です。
その方は、とても賢く合理的です。
でも、それ以上に優しくて優しくて仕方が無く、世の自己啓発で長期的には成功を収めると言われているgiverのお手本というか、鑑のような方です。
でもってgiverの宿命とでも言いますか、その方は、それこそありとあらゆる理不尽を被ってきたように思えます。
少なくとも、私がその方と知り合ってから、今の今までという期間で、
且つ私ごときが傍から見聞きした程度でそう思えるのです。
実際の具体の数は、、、言葉にするだけ野暮ってものかと。少なくとも、書いた言葉以上の規模や数である事に変わりは無いはずですから。
そんな理不尽と、私が認識出来る限りでも6年以上、そして今も戦い続けている凄い人。
それが、今回お話する私の友人です。
感謝、故にお節介という構図
さて、そんな凄い方が友人である幸運に私は感謝しつつも、
はてさて私に何か出来る事はないだろうか、そんな事をぼんやりと考える訳です。
与えられれば与えたくなる。
そんな、衝動とでも言いましょうか。
きっとそこには、私自身の醜い打算や腹黒さもあるのでしょう。それに自分自身で辟易としながら、でもどこか純粋に楽んでいて、そんな感じです。
でもって、付き合いが長いと、長年解決出来ずに残る問題というのが、なんとなく把握できている訳ですね。
今回のお節介は、その中の一つについて、私がこねくり回した理屈じみた何かを書いたって代物になります。
抱える問題とは
その問題とは何か。
それは「プロとは何か。」についてです。
私の言葉で書くのであれば、
世間の言うプロに対して抱いて止まない、強烈な違和感や胡散臭さの正体が何なのか。
になるでしょうか。
あぁ、書いていて今更気付きました。
この問題、私もずっと、答えが知りたかったのだと。
プロ、或いはプロフェッショナルの単語の語源
私のモットーでもある、出来る事から一個づつを愚直にやってみました。
で、その中から、納得感を得て貰えそうなものを厳選。
実際に納得して頂けたら、幸いです。
◎「プロ」という言葉
どうやらこいつらが語源のよう。
ふーむ、分かるような、分からんような。
こじ付けで遊んでみよう。
「うぉー!リンゴだ!好きだー!お前らの代わりに食ってやるー!」みたいな思いから、
結果的に「前方に、先に、代わりに」的な行動がまあやたらと目立って、その意味になった。とか?
◎「プロフェッショナル」という言葉
「信仰を告白する」や、「神の前で宣誓する」といった意味を持つProfessが語源のよう。
意味は「専門職の、本職の、プロの」と。
ほうほう。つまりは、元々聖職者とか、宗教に通じる人のための言葉だったみたいですね。それが転じて、他の業種でも使われるようになったと。
またこじ付けで遊んでみよう。
神様を信じなかったり冒涜したりすると、平気で物理的に首が飛んでいた修羅の時代。
そんな中、わざわざ人前で「私は神を信じます!!」と言っている。
「おぉ、これはかなり信頼できそうだな!?」というような共通認識から、
結果的に「頼めば何とかしてくれる人」→「専門職の、本職の」の意味になったとか?
参考文献
◎え、結局名乗ったもん勝ちってこと!???
言葉だけで捉えると、まさしくそうなのかなと。
プロと思えばプロなのだと。
ただ、こんな結論で納得出来ていたら、それこそ年単位で悩むような問題になるはずがないです。
まさしく、胡散臭すぎて笑ってしまうレベル。
でも、なんかイメージというか、何かが進んだ気はします。(気がするだけ?)
前提を整理してみよう
さあ、1歩進めたので更にもう1歩。どんどんやっていきます。
◎何がそんなに胡散臭い?
今の時代、少なくともこの日本においてはですが、どんな神様でも人でも物でも、
それこそオカルトでも科学でも、何を信じても良いとなっています。
ただ、昔はそうではありませんでした。
信じる相手を間違えると、首が物理的に吹っ飛ぶ時代が、確かにあった訳です。
さて、となると何が異なってくるか。それは「言葉の重み」だと私は気付きました。
それこそ宣言に対しての担保と言いますか、
そういったものがかなーり薄くなった(ように思える)この時代。
◎言葉の重みが無くなった訳
端的に言えば、時代が良くなったからだと思います。
昔に比べて、伝えられる情報の量も質も、それこそ桁違い。
一言に対する価値と言うのがある意味暴落したとも言えますね。
(おぉ、ここで株の勉強成果が出てくるとは笑)
昔は、皆に認知された一言が、それこそ数十年レベルで当たり前として残ってしまう世界。正確な情報の有無は、それこそ国が傾く位には重要なもの。
となりますと、世に出ている言葉に対しての評価も、それこそ厳しくなる訳です。
それ以上に、大大大大大前提で同一の神様を信じている事を確認しないとそれこそ一大事。
はい。そりゃ「プロフェッショナル」になりますよね。
というか「プロフェッショナル」と名乗った人で、結果を出せなかった人はこの世から退場してしまう訳です。
結果論として「プロフェッショナル」にふさわしい人だけが、「プロフェッショナル」を名乗り続ける事が出来てただけだったみたいです。
で、その名残が今、独り歩きしてよくわからん事になってる。これが実態なのかなと、
私は思いました。
大事な事ってなんだっけ
◎気付きというのは、ある意味で気が触れた結果なのかも
この、大事な事に気付くのに、まぁ~時間掛かりました笑
きっかけは、「いよわ」さんの楽曲「1000年生きてる」を何の気なしに聞いていた事。
※以下、いよわ氏作曲作品「1000年生きてる」の歌詞より引用
知らない偉い人が石に文字彫って祈って
気の狂った誰かがホワイトを塗りたくった
上記のフレーズを聞いた時「あ、これだ」ってなりました。
各フレーズが指す光景と言いますか、その原点は多分子供のいたずらやお遊びなのかなと「私は」思いました。(個人の感想です。)
理屈も利益も無い、純粋に楽しんだ結果の一事象。
それはある意味で狂気とも言えますかね。
いうなれば「みてみて!あそんだの!」みたいな、子供が親に向かってはしゃぐ様。
親からしてみれば、
「何を訳の分からん事を笑」と思うのか、
「何てことしてくれたんだ!!」と思うのか。
(後者に関しては心中を察すると言いますか。。。)
それを傍から見たどこかの誰かは、何か気付きを得たのでしょう。
だから、文字が生まれたのかもしれないなと、私は思わずにはいられないのです。
◎で、何が言いたいのか
変人(狂人)の頭の中はさておいて、大事なのはそこから何が言えるのか。
結論は非常にシンプル。
本当のプロフェッショナルと子供のお遊びの違いは、
「これをすれば、あの人を助けられるかもしれない。」
この思いが、有るか無いかだけ。
もっと言えば、その思いが消えた瞬間、
本当のプロフェッショナルではなく
「結果論的にプロフェッショナルと言われている、又は言われていた人」
になる
というだけです。
そしてそれこそが、プロフェッショナルが生まれる理由。
プロフェッショナルであり続ける人がいる理由。
プロフェッショナルの本質だと、私は結論付けました。
思うに、私の友人は、最初からこれを、無意識のどこかでは感づいていたのでしょう。
ビジネスを知らない、私の無力
◎本質を知ると分かる事
傍から見れば、「何故にそこまで誰かの為に動けるの?」となるでしょう。
冒頭で私は、友人について書きました。答えは最初から出てたんです。
もう、どうしようもない位に優しいんですよ。それが理由です。
思考の観点の、恐らく8割が常に誰かの為。だから色々見えてしまうのでしょう。
だから苦しみ、悩むのでしょう。
それでも、ちゃんと具体活動を以て継続してきた。ある意味では続けるしかなかった。
だって優しいから。
でもってこれ、ビジネスで成功する人の特徴そのものです。
だから、結果を出せたのです。それこそ、収益を上げられるレベルで。
だから、救える人が増えたんです。収益を上げられる結果を出した時点から爆発的に。
結果、今の社会のバグみたいなものに引っかかってしまったのかなと。
◎バグって何?
ここから先が、私がまだ理解していない、それこそ、暗中模索から抜けていない話になります。
「社会のバグみたいなもの」、なんていう胡散臭いものが、何故私の頭の中から生まれたのだろうか、そもそも、お金ってなんだ?ってなってます。
で、ちょうど私も投資やら投機やらの勉強中。どうやら、ここら辺の知識が無いからこそ、行き詰っているのだと、変な納得感を抱いている次第。
結果、その手のお勉強に対するモチベーションは爆上がりな訳です。
はてさて、いつ結果が出てくるやら。それも、焦らず1歩ずつやっていきます。
最後に
◎哲学してみた結果
歴史に名を残す学問として、哲学というものがありますね。
なんとなく分かるのは、世の天才達が、なにやら確信めいた当たり前を世に残したらしい、
それくらいの事。
それが、世代を渡って、何故か評価されたりしている。不思議で胡散臭い、現実感の無い学問というのが、過去の私の思う正直な所でした。
でも、その胡散臭さが鍵だったと言いますか、私の身の回りで見聞きしている、何となく感じている胡散臭さや世知辛さを1個づつ見直した結果、
見事私も変人の仲間入りを果たした訳です。
(とてつもない何言ってんだこいつ感。私も書いててそう思います。)
で、何となく分かる方には分かるかも(???)ですが、
これは私が哲学で遊んだ結果の、その気付きの共有なのです。
◎プロの卵です!孵るつもりはありません!
でもって、本記事は言うなれば「みてみて!すごいのみつけた!」と言った、子供が親に向かってはしゃぐ様を、大の大人が大人げなくやっているだけに過ぎないです。
でも、そんな子供のお遊びで終わりたくない。
私のこの気付きは、きっと貴方を救えるはず。
少なくとも、私の自己満足の域では確実に救えると、納得出来るものを書こう。
そんな、出来る事と助けたい思いの、ある意味では妥協した結果がこの記事です。
なので、私はプロである自負はあります。が、プロを名乗るつもりはありません。
助けられる確信を持ち、「実際に助けられた」、「助けたからお金を受け取った」という、2つの結果論を出し続ける人が、きっと世間の言うプロフェッショナルなのですから。
◎締め
私の結論ですが、今回で取り上げた私の友人は、やはり本物のプロフェッショナルです。
というか、最初からそうでした。
少なくとも、私はここまでの言語化を通して、それを証明出来たと思っています。
そして最後にその私の友人に対して、今ここに最大限の感謝をひっそりと表しておきます。
だって、その方のこれまでの具体と継続が、私をプロの本質へと導いてくれたのですから。
2024/12/10 真木顕成
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